スポーツ バスケットボール

バスケの歴史とルーツ!日本がルールを変えたことが!?

世界で行われている球技の中で、一番競技人口が多いとも言われているバスケットボール

そのバスケのルーツと歴史は、どうなっているのでしょうか。

じつは、歴史上はじめてのバスケの試合日本人がプレーしていたのです。

バスケはジェームズ・ネイスミスがルールから考案したもので、YMCAのコミュニケーションを通じて一気に拡大していきました。

YMCAとは、1844年にイギリスで生まれた青年会。

1861年にはアメリカのボストンにもYMCAができて、全米に一気に拡大。

社会的な需要もあり、YMCAはスポーツの振興に貢献するようになっていきました。

記事の前半では、バスケのルールと歴史の始まりをみていきます。

アメリカで一気にバスケは広がっていきます。

後半では、アメリカで一気に拡大するバスケが日本にも伝わり、歴史を作っていく流れを軸に解説します。

終盤では、バスケに身長制度を設けてオリンピックを実施することが決定していたお話を。

この身長制度は日本が提案したものだったんですよ。

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バスケの歴史!ルーツにはネイスミスと日本人が!?

バスケの歴史のルーツには、ネイスミス氏と日本人が刻まれています。

ネイスミス氏がバスケのルールを考案しました。

そしてバスケのルーツとなる史上初の試合には日本人が参加していたのです。

バスケの歴史!はじまりの試合に日本人が参加

まずバスケの歴史上初の試合が行われた時のことを見てみましょう。

バスケのルーツは一体・・・。

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1891年12月21日 歴史上初のバスケットボールの試合が行われる

アメリカ東部に位置するマサチューセッツ州。

YMCAトレーニングスクールはが多く降る季節、グラウンドでの授業は出来なくなっていました。

そのため体育館でできる授業を模索していたインストラクターのジェームズ・ネイスミスは、新しいゲームを考えつきました。

それはサッカーボールを10フィート(3.05m)の高さに設置した籠の中に入れるというルールでした。

1891年12月21日の午前11時30分、歴史上初のバスケの試合は、体育館での授業で始まりました。

フロアは狭く15m×11m

現在のバスケのコートが11m×28mですので半分くらいの大きさですね。

そこに今の倍近くの人数9人対9人がひしめき合っているので、もう大変でした。

体育館上部のウォーキングスペースの足元に、釘で固定された桃の籠に向かってシュートを決めるために全員が本気で夢中になりました。

ゲームはファールが頻発し、退場者続出。

シュートが初めて決まったのは、なんとゲームが始まってから1時間後!

W・R・チェイスという生徒が決めたのです。

【歴史上初のバスケの試合に日本人が!】

この歴史上初のバスケの試合には、石川源三郎という日本人が参加していました。

1866年7月27日に群馬県館林で生まれた石川は20歳で渡米。
マサチューセッツのYMCAをバスケの誕生の1年後に卒業、アメリカの大学院を経て経済界で活躍しました。

彼が日本に帰国した当時はスポーツ文化を受け入れる環境が未熟。
バスケを日本に伝えるには至らなかったようです。

1892年1月15日 全米のYMCAにバスケが紹介される

バスケのルーツを作ったジェームズ・ネイスミスは、全米のYMCAに配られる広報誌に新しいゲームのことを紹介しました。

初めてバスケの試合が行われてから1カ月もたたないうちに、です。

そこからバスケは急激に認知度を高めていきました。

ちなみに、ネイスミスが広報誌に紹介した時の挿し絵は、歴史上初のバスケの試合に参加した、日本人学生の石川のスケッチだったんですよ。

【バスケの名づけ親】

この日、バスケットボールという名前がつけられました。
初のバスケの試合に参加したマーンという学生によってです。

彼は初め
「あなたが考えたゲームなんだから、ネイスミスボールでいいんじゃないか?」
と言っていたのですが、最終的には
籠にボールを入れるゲームなんだから、バスケットボールで!」
というアイディアを提供したようです。

1892年3月11日 マサチューセッツで教員VS学生の試合が行われる

誕生してから3カ月も経たないいうちに、マサチューセッツのYMCAではバスケが大盛り上がり!

教員VS学生の試合が行われると、200人もの観衆が。

創始者のジェームズ・ネイスミスや名付け親のマーンも参加していました。

ほかのYMCAでも、バスケ人口がその魅力によって急速に増えていきました。

バスケの歴史がうごく!ルールもどんどん出来ていく

バスケが歴史を刻む中で、ルールもしっかりと整備されていきました。

まず5人制バスケの誕生です。

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1893年 ルールの改正!5人制のバスケが誕生

バスケには当初、プレーヤーの人数規定はありませんでした。

歴史上初のバスケ試合は9人対9人でしたが、ニューヨークの大学では50人対50人の試合も行われました。

人数が多すぎますね。

そのため広い体育館なら9人対9人、狭い体育館なら5人対5人で競技するということに。

1893年3月22日 女子大で学年対抗戦を開催

スミス大という女子大学で、1年生対2年生の試合が行われました。

翌年も行われた試合では1,000人もの観衆が。

1894年 ルールの改正!人数制度の改正

フロアの面積167㎡までなら5人対5人334㎡までなら7人対7人それ以上で9人対9人と人数の規定が改正。

1895年 ルールの改正!フリースローの点数制度が規定される

バスケの歴史にフリースローが登場しました。

ゲーム中にファウルが起こった場合、フリースローによって得点できることになりました。

通常のプレーによるゴール(フィールドゴール)が2点、対してフリースローによる得点は1点ということに。

フリースローラインからゴールまでの距離は6.1mでした。

1896年 ルールの改正!フリースローの距離が縮まる

前年に設定されたフリースローの距離が遠すぎて得点になりにくい問題がありました。

そこで一気に距離を縮め4.6mに。

バスケの歴史!大学どうしの試合が盛り上がる

バスケは学生に急速に浸透していきました。

まだ誕生から5年しか経っていないバスケの歴史には、大学の対抗戦が刻まれていったのです。

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1896年 初の大学対抗戦が行われる

シカゴ大学VSアイオワ大学の試合が開催されました。

15-12でシカゴ大学の勝利。

女子ではスタンフォード大学VSカリフォルニア大学の試合が開催。

1897年 ルールの改正!バスケのゲームが5人制のみとなる

バスケの試合が5人対5人のみとなりました。

同年に行われたエール大学VSペンシルベニア大学の試合では、エール大学が32-10で勝利。

1901年 ルールの改正!フィールドゴールの得点改正

ゲームの得点数を増やす目的で、フィールドゴール(通常のプレーでのゴール)の得点が3点に。

フリースローは1点を維持。

1901年 5大学によるリーグ戦の開催

東部5大学によるリーグ戦が開催されました。

エール大学・ハーバード大学・プリンストン大学・コロンビア大学・コーネル大学です。

優勝したのはエール大学。

1902年 ルールの改正!フィールドゴールの得点改正

前年改正した得点方法への反対意見が多くなりました。

それを受け、フィールドゴールが2点、フリースローという元の状態に戻されました。

1904年 セントルイスオリンピックで公開競技として試合が行われる

バスケのオリンピックでの歴史が始まりました。

また、このころから木のバックボードが使われるように。

バックボードは観客から見えやすいように透明なものも使われるようになりました。

1905年 大学リーグ間での試合が始まる

大学同士のリーグ線は全米各地で行われるようになっていました。

アメリカ中部のミネソタ大学とウィスコンシン大学が東部まで遠征!

迎えたコロンビア大学は両校に連勝。

これがきっかけとなり「全米のどの大学が最強なのか?」という関心が高まりを見せました。

全米大学選手権が行われるようになり、多くの観衆を集めるようにバスケの歴史が刻まれていくのです。

日本のバスケを軸にして歴史をみていきましょう!

ここからは、日本のバスケのルーツを切り口にして歴史を見ていくことにしましょう。

日本にバスケを伝えたのは、歴史上初めてのバスケの試合に参加した石川源三郎ではありませんでした。

バスケの歴史!日本での始まりはどうだったの?

日本のバスケのルーツはやはり、ここまで紹介したYMCAからの流れです。

日本のバスケの歴史を切り開いた人物は・・・。

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1908年 日本のバスケの歴史がはじまる

日本のバスケの歴史を切り開いた人物は、岡山県出身の大森兵蔵です。

大森兵蔵はアメリカに渡り、YMCAで体育学を学び、バスケの実技を履修しました。

そのバスケの知識を東京のYMCAに持ちかえり、バスケを指導したのです。

1909年頃 佐藤金一がウィスコンシン大学の学年別チームでキャプテンになる

佐藤金一は後に京都YMCAでバスケを指導。

1912年頃 バスケのリングにネットが張られて現在の形状になる

桃の籠にシュートしていた初期のゴールは円筒の金属に変わりました。

1912年ころにはネットの網に変化していきました。

1913年10月 F・Hブラウンが来日してバスケを本格的に指導

アメリカのYMCAで優秀な成績を残し、体育スタッフとなったF・Hブラウン。

ブラウンが来日し、1915年2月より神戸YMCAなどの関西エリアでバスケの指導を始めました。

バスケの歴史!日本も国際試合を行うように

日本のバスケの歴史に、国際試合が登場しました。

アメリカにルーツを持ち、1891年に考案されたバスケットボール。

その26年後には、遠いアジアの日本でも国際試合が行われるまでに発展してきたのです。

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1917年5月 日本の歴史上初のバスケ国際試合を行う

東京で第3回極東選手権競技大会が開催され、その競技としてバスケも実施されました。

佐藤金一をキャプテンとする京都YMCAが日本代表として出場。

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日本14-39フィリピン

1921年5月 第5回極東選手権競技大会が北京で開催

東京YMCAが日本代表として出場

日本29-32中国
日本21-48フィリピン

1921年11月 第1回全日本バスケットボール選手権が開催

東京YMCAが優勝。

バスケの歴史!え?日本の提案で身長制が導入!?

バスケットボールは世界に歴史を刻み、国際バスケットボール連盟FIBA」が結成。

さらにはオリンピックの正式種目にもなり、ドリームチームがスーパープレーを魅せました。

オリンピックでは日本が身長制を提案、バスケを2階級に分けて競技することが決まっていたこともあるんですよ。

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1932年6月 国際バスケットボール連盟(FIBA)が結成

6月18日 ジュネーブにおいて第1回のFIBAの会議が行われ、バスケの国際ルールが決められる。

1936年8月 ベルリンオリンピックの男子正式種目としてバスケの試合が行われる

バスケの歴史で、初めてオリンピックの正式種目になりました。

第1試合はフランスVSエストニアで、バスケの創始者であるジェームズ・ネイスミスがトスアップしました。

金メダルはアメリカ、銀メダルはカナダで、メキシコが銅。

日本は21チーム中15~18位。

1936年 日本の提案によって身長制が決定!

なんと、日本の提案によってバスケに身長制が導入されることに。

1940年に開催予定となっていた東京オリンピックからです。

身長190㎝を境として2つの階級に分けられることになりました。

しかし1940年の東京オリンピック自体が消滅し、その後、身長制は消えていきました。

後に東京オリンピックが開催されたのは1964年のことです。

1946年 NBAが誕生

バスケの歴史にはNBAよりも前にプロリーグが存在していました。

初のプロリーグは1898年に6チームで始まっています。

1950年10月 第1回バスケ世界選手権が開催

アルゼンチンが優勝。

1953年 第1回バスケ女子世界選手権が開催

アメリカが優勝。

1976年 モントリオールオリンピックの女子正式種目としてバスケの試合が行われる

金メダルはソビエト連邦、銀メダルはアメリカで、ブルガリアが銅。

1992年 バルセロナオリンピックのバスケでドリームチームが躍動!

今もバスケの歴史にさんぜんと輝きを放つスーパースター、マイケルジョーダン。

そしてマジックジョンソン、バードやバークレー、ピッペンなどの最強メンバーがアメリカのバスケ代表に選出。

圧倒的な強さで金メダルを勝ち取りました。