名古屋城のしゃちほこ!どんな由来があるの?

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江戸幕府が開かれてからまもなく築城された名古屋城

名古屋城に、あの大きなしゃちほこが据えられているのは、どんな由来があるのでしょうか?

この由来は、大きく分けて2つありました。

ひとつ目は、徳川家の強さの誇示

そしてもう一つは、厄除けです。

では、この2つの意味をくわしく見ていくことにしましょう。

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名古屋城のしゃちほこの由来!その1

名古屋城は、徳川家康が政権をとった後に築いた巨大な城です。

名古屋城に大きなしゃちほこが据えられた由来

徳川家の強さを見せつける

ことにありましした。

名古屋城の意味は大阪にあり

1600年の関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康

1603年には江戸幕府を開き、天下人となりました。

ところが幕府の西には、当時の日本で最強にして最大の城がありました。

大阪城です。

この大阪城に構えているのは豊臣秀吉の子、秀頼

まだまだ江戸幕府を脅かす存在でした。

家康としては、この大阪城を凌ぐ巨城を持つ必要がありました。

西方の武将たちに

家康には逆らえない

と思わせることに意味があるのです。

金のしゃちほこ!大きさがすごい

家康がメンツをかけて城を築いたのは、江戸と大阪の間にある要衝の地尾張でした。

尾張の国には織田信長が生誕した那古野城(なごやじょう)の跡地がありました。

その場所に1610年、名古屋城が作られはじめます。

大阪城の倍以上のサイズの天守には1612年、大きな金のしゃちほこが置かれました。

しゃちほこはオスメスがいて、互いに向き合っています。

名古屋城のしゃちほこと金閣寺を比較

しゃちほこにはがふんだんに使われていました。
なんと200キログラム以上の金ですよ。
金閣寺でさえ20キログラムの金の使用量ですので、桁違いの大盤振る舞いと言えます。
金箔ではなく、板状の金であることでこの量になっているのです。

名古屋城はしゃちほこでも日本一

もちろん、他の城に据えられたしゃちほこと比べても、No.1の豪華さでした。
名古屋城のしゃちほこの由来は、徳川の強さを見せつけることでした。
そのため名古屋城はしゃちほこでも日本一であるということに意味がありました。

しゃちほこの輝きが誇りに

この金のしゃちほこは、名古屋城から4キロ離れた東海道まで輝きを放っていたといいます。

しゃちほこの高さは約2.7メートルで、かなりの存在感。

そして城下町に暮らす人々の自慢の城であり、誇りに感じるしゃちほことなりました。

西から敵が攻め込んできても、巨大な名古屋城の上から睨みをきかせているのです。

名古屋城のしゃちほこは、1945年に空襲によって無くなってしまいます。

しかし昭和39年には天守とともに復元されました。

現在でも名古屋城の金のしゃちほこは、名古屋のシンボルという意味を持っています。

次の章では、名古屋城にしゃちほこが据えられた、もう一つの由来についてお話しようと思います。

ここには、織田信長が影響を与えているんですよ。

名古屋城のしゃちほこの由来!その2

名古屋城のしゃちほこの由来には

厄除け

ということも挙げられます。

しゃちほこは頭が虎のようで迫力満点であり、体が魚になっています。

龍と同じように想像上の生きものです。

そして、このしゃちほこ、水を吹き出すとされているんですね。

建物の屋根から水を吹いて、城を火から守ってくれるのです。

しゃちほこと信長

じつは。

しゃちほこを城に初めて取り付けたのが織田信長なのです。

信長の城作りの集大成ともいえる安土城に据えらました。

安土城の出来栄えは素晴らしく、後の城作りに大きく影響を与えました。

それは名古屋城も例外ではなく、立派なしゃちほこが鎮座する由来となりました。

しゃちほこの原型

このしゃちほこの原型となったのは、鴟尾(しび)という飾りです。

長靴をひっくり返したような形で、魚の尾のようにも見えます。

東大寺の大仏殿などにも使われているんですよ。

この鴟尾(しび)が変化していって、しゃちほこになりました。

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