お城の石垣の作り方!石を運んで積む!

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筆者は以前、熊本に旅したことがあるんですが、熊本城がすごかったです。

築城の名手と呼ばれた加藤清正公のお城です。

この熊本城で強く印象に残ったものの一つに、石垣があります。

曲線を描き、そびえ立つような石垣。

とても美しく、かつ、荘厳な感じでした。

見とれてしまいました。

あの勇姿の復旧が待たれます。

このような、お城の石垣の作り方は一体どんなものだったのでしょうか?

  • 石垣用の石を確保する
  • 石を城に運ぶ
  • 石を加工してから積む
  • 石垣の裏側の役割
  • 石垣の基礎を安定させる方法

という順番で見ていきたいと思います。

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城の石垣の作り方!こんな順番です

お城の石垣の作り方を、順番にみていきましょう。

まず、石垣用の石を確保するところから始まります。

石垣用の石を確保する

お城の石垣に使う石は、石切丁場(いしきりちょうば)と呼ばれる場所で切り出したり、石山から運びました。

築城する場所の近辺で石が調達できればいいのですが、遠く離れた場所から運ぶことも。

大阪城には瀬戸内海沿岸部から石垣用の石が運ばれました。

遠くは現在の山口県!

近隣では現在の兵庫県などの石を運びこみました。

例えば江戸城には伊豆半島や小田原の石切丁場で石が調達されたのです。

織田信長や、豊臣秀吉、徳川家康の時代は築城ラッシュ

石垣に使う石をかき集めるのは大変でした。

石が足りなくて

古墳・墓石・庭石・石臼(いしうす)・お地蔵様

まで石垣になっているんですよ。

ちなみに、筆者の訪れた熊本城の石垣の石切丁場がどこなのかは不明です。

熊本城のちょっと南には、石切りしていた跡が残っているのですが、ここの石は使われていなかったようです。

石を城に運ぶ

石切丁場(いしきりちょうば)で石垣用に切り出された石は、お城まで運ばれます。

山道を舗装して石を運びやすくしたり、船に乗せて海や川を使って石を運びました

石は基本的に、運び易くするため、箱型に加工されました。

まず、陸路では

  • 小さめの石を背負子(しょいこ)が背負う
  • 材木にくくり付けた石を数人で担ぐ
  • 車輪の付いた台車に乗せる
  • 大きな石を橇(そり)に固定して丸太の上を数人~数百人で転がす!

といった、様々な方法で石が運ばれました。

大人数で巨石を運ぶ時は、お祭り騒ぎでした。

笛や太鼓ではやし立てるのです。

つらい力仕事も、お祭りの山車(だし)を引く気分で行えば、楽しくできたことでしょう。

この運び方、誰が始めたと思いますか?

じつは、織田信長なんです。

旧二条城を作る時に、天下の名石と言われた藤戸石を派手に包装し、大騒ぎで運ばせました。

これ以降、巨石を運ぶときには、お祭り騒ぎになりました。

「すごい城ができるんだなぁ。」

信長は、人々にそう思わせることを狙い、自分が天下人であることを示したのだと思います。

エンターティナーとしても超一流です。

次に水上で石を運ぶ方法です。

石を切り出して港まで運び、そして船に乗せるのです。

まず、筏(いかだ)を使う場合。

この筏には、空の樽(たる)を沢山くくり付けて浮力を作り、石の重みに耐えさせました。

そしてを使う場合。

滑車を付けて石を引き上げやすくした船に、石を積み込んで運びます。

運搬のために、大きな石を橇(そり)に固定したものは修羅(しゅら)と呼ばれていました。

船にはこの修羅ごと乗せられました。

港に着くと、再び修羅を使って城まで運ばれていくのです。

そのため、石を運ぶ船は修羅船と呼ぶこともあったのです。

城の石垣の積み方

さあ!築城が行われている場所に石が運び込まれました。

いよいよ石垣を積んでいきます。

石を加工してから積む

石は石垣用の大きさに割っていきます。

戦国時代から徳川幕府の時代にかけて、石を割る技術は進歩していきました。

戦国時代は、石を簡単に割る程度でした。

自然の石をそのまま石垣として積むこともあったのです。

それが徳川幕府の時代になると、均一なサイズにも石をカットできるように

カットされた石は、下から順に石垣として積まれていきます。

一番下に据える石は根石(ねいし)と呼ばれました。

この根石の上に順番に石を重ね、石垣を作っていきます。

石垣の裏側の役割

一つ一つの石垣は、一番平らな面が表面にくるように積まれています。

ですので、石垣の裏側には不揃いの隙間ができています。

そのままだと石垣が不安定ですね。

この隙間を埋めているのが飼石(かいいし)

さらに。

この石垣の裏側にはぎっしりと細かい石が積まれています。

この細かい石は、裏込め石(うらごめいし)と呼ばれ、人の拳(こぶし)サイズです。

この裏込め石が詰まれることで、雨水を排水してくれます

水が排水できないと、その重みは石垣が崩れる原因となってしまいます。

また、石垣の裏側に裏込め石が

「ギュっっ」

と詰まっていることで、石垣の強度も万全となるのです。

石垣の基礎を安定させる方法

ここまでお話してきたようにして石垣全体の表面を平らにし、そして石垣を強固なものに仕上げていきます。

・・・ところが。

石垣を積む地盤がゆるい場合があるんですね。

水が湧いてくる土地もあるのです。

この場合、石垣を積めるように地盤を固めてあげます

松葉をしいて足場を安定させてから木材を敷くのです。

こうして基礎部分を補強した上に石垣を積んでいきます。

江戸城の石垣の基礎

江戸城の石垣の基礎を、例にしてみましょう。

江戸城は、一番海に近い

  • 日比谷門
  • 桜田門

の付近の地盤がとても軟弱でした。

そのため、湿地を乾燥させる作業が行われているんです。

  • 刈り取ってきた大量の茅(かや)を軟弱な土の上に敷きつめる
  • その上に土を盛る
  • 踏み固める
    大勢の子供たちを遊ばせたと伝えられています

という工程を経て地面を乾燥させ、強固な石垣を作っています。

この工程を経なかった石垣は崩落してしまい、大きな被害があったと記録されています。

算木積み

石垣の四隅には、直方体の交互に積み、強度をアップさせる工夫がされるようになりました。

城を築くなかで石垣積みの技術も進化していったのです。

これは、算木積み(さんぎづみ)と呼ばれる工法です。

戦国時代に考案され、江戸時代に入ったころに完成の域に達しました。

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