秋田のなまはげ。
秋田県は男鹿市の文化です。
国の重要無形文化財に指定されています。
さらに2016年の3月には文化庁がユネスコに登録を申請します。
文化庁の計画通りにいけば、ユネスコの無形文化遺産に17年の秋ごろに登録されます。
いよいよ秋田から世界デビューです!
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◆なまはげは神様!その由来
そのなまはげ、妖怪ではなく神様なんですよ。
1年に1度正月(大晦日)に秋田にやってくる年神様(としがみさま)なのです。
年神様は災いを払い、私達に五穀豊穣をもたらしてくれる、穀物神でもあります。
また、年神様であるなまはげは、同時に祖霊(=ご先祖様の霊)であると考えられています。
ですので、なまはげは、かわいい子孫の住む家にやって来て、作物が実り、病気なく災いも無いように力を貸してくれるのです。
ここでいう作物とは稲のことを指しています。
なまはげの衣装
なまはげの衣装の由来には稲が関わっていました。
稲の出来は人々の生活を大きく左右します。
秋田の人々は、穀物神である、なまはげに「今年の稲が豊作になりますように」と、祈願したのです。
また、神様である、なまかげがやってくるとその家の人は餅を渡します。
そううことが由来となり、なまはげの衣装は、体の部分が稲のわらなのです。
◆なまはげが、来る時期の由来
秋田のなまはげが人々の家にやって来るのは、現在では大晦日ですが、
もともとは小正月(1月15日)でした。
秋に稲の実りを迎え、小正月の頃から新しい年の稲作の準備が始まります。
穀物神であるなまはげに、一年の始まりの豊作祈願をしたのが由来なのです。
また、人々はご先祖様でもあるなまはげに、今年も良い年でありますように、と、お願いしました。
お願いをするなら年の始まりがいいですね。
それが、なまはげの来る日が小正月、ということの由来にもなりました。
ちなみに、神様のなまはげには、その年に自分たちがしてしまった悪事も伝え、許しを請います。
◆なまはげの由来となる地域
秋田のなまはげの風習の始まりとなった場所としての由来は中国大陸です。
稲作は中国の長江流域が起源(1万年前)と考えられています。
その長江流域には正月行事として、なまはげと同じように稲のわらで身を包んだ神様が集落を周るというものがあります。
その長江流域の行事が稲作と一緒に持ち込まれたのが由来となっていると考えられています。
行事の由来となった風習は、九州南部に到達すると、海沿いに日本各地に伝わっていきました。
そのなかの一つが、秋田のまはげなのです。
なまはげ、という名前
最後は、なまはげ、という名前の由来です。
ご先祖様でもあるなまはげは、子孫のしつけもしてくれます。
「泣く子は、いねがぁ~」
「親の言うこと、きがねぇ子はいねがぁ~」
と、子供たちを叱ってくれます。
最近では、「パチンコやりすぎな母ちゃんは、いねがぁ~」と怒鳴るなまはげもいるらしいです。
さて、秋田のご先祖様の「しつけ」からきた、なまはげという名前の由来は・・・
昔、怠け者は囲炉裏(いろり)に、ゆっくり当たってばかりばかりでした。
囲炉裏に当たりすぎると、低温やけどである、「火だこ」ができました。
その火だこは、秋田では「なもみ」と呼ばれていました。
その「なもみ」を剝ぎとって怠け者を更生させることは、「なもみ剥ぎ(はぎ)」と表現されました。
この「なもみはぎ」が由来となり、変化していったものが「なまはげ」なんです。
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秋田の男鹿市では、なまはげの衣装のお面が50cmもあるものが2014年の大晦日に30年ぶりの復活を遂げました。
3.5等身のなまはげです。
なまはげは男鹿市の中でも、地区によって様々な衣装があります。
それぞれの伝統を繋いでいくことが地区の連帯感や誇りを保つことなのだと思います。