「横綱とは何?」
「横綱の由来は?」
横綱という言葉は「力士が儀式の時に巻くしめ縄」として始まり、
「最強の大関の勲章」に変化し、
「番付の最高位」となりました。
横綱とは何なのか?
横綱の誕生(由来)から現在までを、
相撲界の流れ
と共に見ていきたいと思います。
それでは早速!
- 横綱とは何?由来に迫る!
- 「横綱土俵入り」の初めて
- 「初代横綱」を決めた人物
- 横綱の現在
- 「横綱」の作り方
という順で見ていこうと思います。
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横綱とは何?由来に迫る!
横綱とは何なのか、その由来に迫っていきます。
まずは、横綱誕生以前の相撲界の流れを簡単に。
横綱とは!その誕生以前の相撲界
文献をひも解くと、7世紀には相撲が表れています。
7世紀に百済(朝鮮半島の国)からの使者に相撲を見せ、8世紀には東大寺の大仏を作った聖武天皇も相撲を観ています。
時代が流れても、相撲は源頼朝や織田信長に上覧されています。
そんななか、相撲の番付に三役(大関・関脇・小結)が表れます。
横綱よりも先なんです。
1699年5月、京都での興行相撲で三役が登場しました。
大関が力士の最高の地位となり、この後も長きにわたって大関が力士のNo.1となります。
このような流れがあった相撲界。
そして、1700年代。
ついに横綱が誕生します。
横綱とは何?
横綱とは何なのか?
横綱の由来は土木工事の儀式にありました。
1700年代、宮殿や城、寺社を立てる時の地鎮祭に
大関の2名
が呼ばれてお払いの地踏みを行っていました。
地鎮祭とは、工事現場に設けられた祭場で、土地の神様を鎮めるための儀式です。
相撲の力士の最高位である大関は当時、「最高の力持ち」の称号を持っていたことでしょう。
その大関2名は、地鎮祭でしめ縄を身につけました。
しめ縄には、力士の身と心を清める目的がありました。
このしめ縄が横綱と呼ばれていたようです。
大関は、横綱を巻くことを許可されて地踏みの儀式に参加しているのです。
「横綱土俵入り」の初めて
地鎮祭の「地踏みの儀式」を転用して相撲興行を盛り上げられないか・・・。
そう考えたが、吉田司家(よしだつかさけ)です。
この家は、鎌倉時代初期から相撲の元締めとして大きな権力をもった家です。
「横綱」で土俵入りした大関
第19代目の吉田司は、
「大関に横綱を巻かせ、土俵入りさせよう!」
とひらめきます。
かくして1789年11月、2名の大関に
「横綱の免許」
が与えられることに。
- 谷風梶之助仙台出身・188㎝・166㎏
- 小野川喜三郎近江身・176㎝・135㎏
という大関です。
免許が与えられた2人は、翌日に土俵入りを行っています。
それは、富岡八幡宮で行われた相撲興行の7日目のことでした。
相撲に突然現れた横綱は大人気となります。
江戸で行われた興行には、沢山の観客が詰めかけたそうです。
横綱という地位
当時の「横綱」は、現在のように力士の地位を現すものではありませんでした。
あくまでも、「横綱」とは最強力士が巻くしめ縄のことでした。
江戸時代の番付表の最高位は大関だったのです。
「横綱」が相撲の力士の最高位になるのは、次の章でお話しします。
ちなみに、前述の谷風梶之助が巻いた「横綱」は現存しているんですよ。
それは現在のものよりも細いものです。
「横綱」が太くて重くなったのは明治時代後半からです。
「初代横綱」を決めた人物
初代の横綱を決めたのは、陣幕久五郎です。
陣幕久五郎(出雲出身・174㎝・138㎏)は、自らも1867年に横綱の免許を得ている力士です。
初代横綱までさかのぼる
陣幕は、初めて「横綱」を巻いて土俵入りした谷風と小野川を、4代目と5代目の横綱としました。
そして、初代~3代目までの横綱を谷風と小野川よりも前の力士にさかのぼって決めたのです。
- 初代横綱 明石志賀ノ助宇都宮出身
- 2代目横綱 綾川五郎次栃木市出身
- 3代目横綱 丸山権太左衛門宮城県出身・193㎝・161Kg
として横綱力士碑を建てたのです。
横綱力士碑は明治33年(1900年)、富岡八幡宮建にてられました。
その高さ3.5m、横幅も3m、重さはなんと20トン!
巨大な石碑です。
この石碑には第66代の横綱、若乃花勝(平成10年)以降、土俵入りが奉納されています。
日本相撲協会は、この横綱力士碑を根拠として現在の横綱までを
第○○代
とカウントしています。
初代横綱の明石志賀ノ助は実在した
じつはこの石碑について、
「初代横綱の明石志賀ノ助は、実在の人物なのか?」
と、疑問の声がありました。
しかし近年、明石志賀ノ助は
- 上山藩(山形県)の藩主の前での相撲披露
- 宝井其角(たからいきかく・江戸時代の俳人)の俳句に登場
ということが分かり、実在が確認されました。
「横綱」という地位が確定!
最強の力士が巻くことを許された、横綱というしめ縄。
この横綱が力士の地位も表すようになったのは明治23年(1890年)5月のことです。
番付に横綱と記された力士(西ノ海)が登場するのです。
世の中の風潮は、「横綱」を勲章ではない、地位として捕えはじめていました。
そして明治42年(1909年)2月。
ついに!
相撲協会は横綱を大関の上の地位と決定します。
この年、現在も相撲の熱戦が繰り広げられている両国国技館がオープンしています。
横綱の現在
横綱とは現在、相撲の力士の中の最高位として君臨しています。
相撲の番付(ランキング制度)は下のようになっています。
相撲の番付は、強い方から順に、
- 横綱
- 大関
- 関脇
- 小結
- 前頭(平幕力士)
- 十両
- 幕下
- 三段目
- 序二段
- 序ノロ
となっているのです。
横綱になるには
横綱になるためには、横綱の下のランクの大関で優秀な成績をあげることが必要です。
具体的には、大関で
二場所連続優勝する(orこれに準ずる成績)
ということが条件になるのです。
さらに、人間的な資質として
品格
力量
も評価基準となります。
人間的にも優れた力士だから横綱というしめ縄を腰に巻くことを許されるわけです。
以上の条件を満たした、と判断された力士は
相撲協会の理事長が横綱審議委員会に判断をゆだねます。
※横綱審議委員会は、昭和25年に設置された機関です。
相撲の識者によって構成される横綱審議委員で、3分の2以上の支持を得れば・・・。
晴れて横綱誕生!
と、なるわけです。
横綱でいるために
じつは、
「横綱になるよりも、横綱でいるほうが大変だ。」
といわれます。
一度横綱になると、下の階級に降格されることはありません。
そのため、横綱となった力士は強さを維持しなくてはいけないのです。
黒星(負け)が多くなると、横綱は現役を引退することに。
かつて、負けが込んだ横綱が「大関に降格してください。」と頼んでも受け付けられなかったことがあります。
また、黒星が続いた横綱が辞めずにいると、
横綱審議委員会からの引退勧告
がされることもあるのです。
「横綱」の作り方
横綱とは、最高に優秀な力士が腰に巻く「しめ縄」のことでしたね。
このしめ縄を巻くことが許された力士も、また横綱。
横綱が巻くしめ縄は、栃木産の麻と木綿を漂白したさらしで作ります。
綱の中には銅線が入っているんですよ。
長さは4m、重量は15Kg前後!
綱打ち式で完成する「横綱」
このしめ縄、横綱の部屋の力士や一門の力士たちが大人数参加する
網打ち式
で3本の綱を縒り合わせ(よりあわせ)ます。
三つ編みにするのです。
力持ちの力士たちによって、
「ひぃ、ふぅ、み!」
の掛け声と共に縒って(よって)いくのです。
1時間ほどで完成した横綱は、新横綱が腰に巻き、横綱が行う土俵入りを教わります。
昭和26年から明治神宮に奉納されるようになった、新横綱の土俵入り。
新横綱の晴れ舞台、と言えます。
このような、「神事」とも言える行事は「横綱」の由来そのものに思えます。